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書籍

連続した真実 第2巻

「巻かれ続けるメインスプリング」の第四トゥールビヨン、デルドライズ・モーヴァインの説話からの抜粋

私は言葉で歯車を巻く。

ソーサ・シルの意志は疑似時制の意志である。「名のない意志」である。「名」とは何であろうか。神のメトロノームは「名」が歯車を別の歯車から離すためのくさびであると我々に伝える。鎖車を緩め、骨組みを蝕むロルカーンの大いなる嘘の残余。エトアダの歯車は各々の方法で、各々に名を付けた。我々の下等種はこれを優しさと見るが、「巻かれ続けるメインスプリング」は利己的な矜持に根差す呪いと呼ぶ。名を付けるとは、ある者を他の者と分かつことである。それはアヌの収束と後のニルンの死である。誤って組み立てられ、冷淡な嘘を吐くドラゴンを意味する。その名を「多数」という。

「名」でない名は一つしかない。収斂したクロックワーク神のセトであり、その名はピストンのように「その時」と「その後」に流れ出る。その心臓が永遠の車輪を回し、その血が全車軸を円滑にする、謎の父ソーサ・シル。その心が「彼ら」と「私達」を溶け込ませ、後のニルンを産む神の機関「シ」。弱い意志は煙の筋であり、生まれて、無限の空の海に迷う。死んで自由になる、迷える子供達だ。

トリビュナルの子よ、自由とは何だろうか? 奴隷と反対のてこなのか? 違う。お前は順番に言葉を聞かなかったのか? 疑似時制の意志とは、一度しか振れぬ振り子なのだ。それ以上は振れぬ。二度振ることは、別の者の意志を砕くことになり、二つの冒涜を示す。パドメイは幻影に過ぎず、その意志もまた然り。混沌なき「選択」とは何なのか? 秩序の欠落、俗悪、勝利なき「自由意志」とは何なのか? 真の輪は時計回りに、必ず時計回りに回る。後のニルンが統合した暁には、各々が全に属し、全てが無に属す。最後のタムリエルを除いて。よって子よ、些末な重荷は捨てるのだ。「私がそうしようか?」。その「選択」は幻影だ。統合を追求せよ。最後には、そうなる他ないのだから。

私は言葉で歯車を巻く。

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