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書籍

トネナカの祠

アカヴィリの神秘に関する研究

豪商フェイナ・ダラク著

北エルスウェアのカジートとリム・メンが、最高顧問の失墜を受けて避難してきたアカヴィリを難民として受け入れた時、最初の到着者たちは首都の西にある使われていない地下墓地を与えられた。そこにおいて、アカヴィリは帝都からの逃避行を生き延びられなかった死者たちを埋葬した。

その地方の君主であったリンメンのサヴィリアン王とアネクイナ・カジートの女王パダラは、アカヴィリの生存者たちに対し、首都の内部および南方の肥沃な丘に再移住を促す布告を発した。彼らは血から言えば完全にインペリアルだったが、それでもかつての支配者に忠実だったため、思い出の品を数多く持ち込んだ。

リンメンはインペリアルとカジート交易の中継点として、すでに折衷的な社会を築いていたが、アカヴィリ移住者の風変りな美的感覚と文化、食習慣がこの街を決定的に変えた。アカヴィリの最も変わった貢献を敢えて一つ挙げるならば、リンメンの北方地区におけるトネナカの祠の建設だった。

アカヴィリの建築スタイルに影響を受けたカジートの石工技術によって建設されたトネナカの祠は、残っていたアカヴィリの移住者と彼らの臣下だったインペリアルにとって、文化的な試金石になった。家長たちは石を彫った小型の像を何万体も建設するよう注文を出し、南タムリエル中から彫刻家や技師を集めてこの計画に協力させた。

確かに、アカヴィリ居住者がこの計画の資金調達のために持ち込んだ莫大な富は、リンメンの経済を大きく豊かにした。しかし年月が過ぎ、残ったアカヴィリの数は激減したため、生きて祠の完成を見届けたのはたったの5人だった。大部分の者はインペリアルとの交配を進めるか、あるいは遥か南の村落ハコシャエに移り住んだ。

最後の石像が置かれた時、5人のアカヴィリはトネナカの祠に入って扉を封鎖し、進入を防ぐために強力な結界を張った。これはリンメンの権力者とアカヴィリ建築士たちの当初合意にはなかったものである。しかしゴールドの約束により、怒りは和らげられた。

祠は今日に至るまで封鎖されたままであり、その驚異的な石工技術を劣化から守るため、外部の修復が時折行われるだけだ。

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