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書籍

試練の祭典

ライジェ・パラク・ルリシアン著

薪木の月14日

帝都の輝きに比べれば、ハコシャエは青白い光でしかない。我々の故郷は簡素で、生活は日々労働に満ちている。かつては柔らかかった私の手も、今では豆と埃で覆われている。それでも、我々は安全だ。

豪商は近く試練の祭典を始めるとの告知を出した。人生で初めて、祖先の名誉を汚す心配をしなくてよくなるのだ。私は長い旅と辛い労働を経て、ハコシャエを築く助けをしてきた。私の行いはきっと、私の前にここへ来た者たちを満足させたものと思う。

薪木の月18日

試練の祭典が始まったが、祭りはほろ苦い感慨に貫かれている。たった3年前、この同じ祝賀を一族の美しい領地で行ったことを思い出さずにはいられない。饗宴があり、踊りと音楽、他にも色々あった。千の物語が語られ、千の歌が歌われ、美しい装飾が私たちの故郷を覆った。

ハコシャエの試練の祭典は遥かに簡素な行事だ。食料に余裕がないため、饗宴はなし。我々の労力は今や故郷となったこの街を築くために使われたので、装飾もなし。偉大なる冒険の物語は疲れ果てた長老たちによって語られる。かつての労働の重荷が、今でも彼らの声にのしかかっている。

だがそれでも、豪商の決断には感謝している。アカヴィリを再び感じられるのはいいことだ。

薪木の月20日

私の妹が昨晩、奇妙な音を聞いたと言っていた。ゆっくりと、つまずきながら彼女の窓のそばを歩く音。彼女は目を覚ましたが、怖くて外を見られなかったという。

心配することは何もないと言っておいたが、気が重い。祭典は我々の祖先に裁定を仰ぐものだということは誰もが知っている。我々がどれほど見事に祖先を称えるかによって、彼らは我々に幸運か、もしくは不運をもたらす。だが生者の領域を乗り越えるということは、彼らが激怒していることを意味する。

昨晩ハコシャエを訪れたのが、私の祖先でないことを祈るしかない。祖先が私たちを常に見守り、死後の世界へ幸せに留まっていてくれますように。

薪木の月22日

試練の祭典は完了し、誰も悲惨な死を遂げはしなかった。妹の話はただの夢だったのだと今では思っている。彼女の悪夢を信じ込むとは、私が愚かだった。

しかし祝賀には奇妙な空気が漂っていた。通常は荘厳で動じない豪商が、今日は普段より深刻そうに見えた。彼は祭典について、そして我々が祖先を称えたことについて話した。私自身の父が何度も繰り返し語るのを聞いたことがある、普通の演説だった。

しかしその後、彼は我々の毎日の行いが祖先に対する我々の価値を証することになるのだと語った。我々は祖先の注意を要求し、馬鹿馬鹿しい試練や無意味な謎で自分の力を証明するべきではないと語った。ただハコシャエを築き、維持するだけでも、我々は祖先を十分に満足させたのだと。

こうした意見に、私は落ち着かないものを感じている。まるで豪商は来年、試練の祭典を開催したくないと言うようだ。もちろん、私はそうでないことを心から願っている。今年の薪木の月、我々はアカヴィリ文化の重要な一部を祝ったのだ。それを手放してしまうのは望ましくない。すでに我々は、あまりに多くのものを手放してきたのだから。

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