スポンサーリンク
書籍

ストームホールド、シャドウフェンの街

シランティレ著

帝国の学者たちは、第一紀2811年におけるアルゴニアの戦いとブラック・マーシュの征服、すなわち人間種族が最初にこの地域で権力の座についた瞬間について記しているが、この場所の地理の乗り越え難い密集性について言及していない。帝国の斥候である導く者アシリウスはこの沼地を、「地面の水を一滴飲めば腸内に激流を引き起こす、苦痛と病気のスープ」と記している。しかし、侵入困難な奥地にあるヘルストロームの街は、過去に包囲戦を想定した攻撃を受けたことがない。帝国は北方及び西方の国境地帯を接収するだけで事足れりとしたのである。実際、居住困難な監獄と化したのは、かつてタムリエルの不良たちが自由にうろついていたこの沿岸地域だった。だとすれば、直接の関連はないが似たような年季奉公契約の歴史が、この大湿地帯の別の場所で存在していることも不思議ではない。すなわち、ストームホールドである。

羊皮紙での記録が残される以前にバルサエビク・アイレイドによって設立されたストームホールドは、ダークエルフの悪名高き歴史を内に秘めている。アイレイドの遺跡の緻密な石細工は原始的な富を明らかに示しており、またより新しいダンマーの石の建築物は、有害で無慈悲な支配がどういう建物を作るかということを示している。こうした欲と残忍さに捧げられた記念碑に隣接しているのは、より質素なアルゴニアン部隊の泥の小屋であり、これらはかつてダンマーと協力して未開地の村を破壊し、モロウウィンド各地で植民の作業に従事させるのに適した捕虜を集めるための、同盟者たちの家となっていた。そして今では抑圧の泥沼からようやく抜け出した、この爬虫類種の故郷になったのである。

第二紀の激動期、暴力と殺人がストームホールドを侵食し、邪悪なダンマーによる束縛の鎖が(そして、規律の乱れたインペリアルの領主は賞金と利用しやすい労働という考えに気を取られていた)、アルゴニアンをこの地区から、その最後の部族に至るまで消滅させようとしていた時、搾取されたこの爬虫類たちに残された手段はわずかだった。つまり、アルゴニアンのバイスカノンたちが出現し、他の領域で評議員や部族のリーダーたちが行っている行政機能を担うようになったのだ。

コメント

スポンサーリンク