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書籍

魔術は死霊術ではない!

ディヴァイス・ファー著

私のように最高位の力と学識を持つ魔術師は、広大なタムリエルのあらゆる場所で、その技を使うよう頼まれることがある。私が広く旅をしたモロウウィンドの地でも同様であった。これは私の個人的な経験から言えることだが、了見の狭い地方の官憲は、その種族や文化に関係なく、皆共通して魔法に対して疑い深く、間違った知識を持っている。彼らは声をそろえてこう言う。「ソーサラーだって? まったく、この地域では蘇らせる死体なんてものはないよ。分かったかね?」

これと同じような台詞を一体何度聞かされたか分からない。こういった無知で尊大な役人たちは、アルケインの術の違いなどまったく何も知らないのだ。彼らが気にしていること言えば、マジカを操る者はすべて、真夜中にコソコソと墓地に忍び込んで、彼らの隣人や先人たちの死体を動かすのではないかということだけだ。

低能で愚かな官僚どもめ。

もちろん召喚が一般的な魔術の1つなのは確かだ。私たちソーサラーは、問題を解決するにあたって狂暴な獣の力が必要だと判断した場合には、オブリビオンに助けを求めて召喚という手段に出ることがある。デイドラの霊魂を召喚し、死体に乗り移らせ操り、情報やその他の目的のために死者の魂を呼び出すこともある。一言で言えば、死霊術とは不快で品位がないものではあるが、召喚術の一部なのだ。しかしながら、このことからすべてのソーサラーが死霊術師と事実上同じである、とするのは誤りであり、誤解を招く中傷である。

とは言うものの、誰にでも若い頃というのはあるもので、危険で禁じられたことを実験しようとするのは若者にありがちなことだ。ずっと昔、私はテル・アルンに住む若者だった。昔のことで、第一紀の初頭の記憶は確かではないが、私は見習いとして、死体を操る呪文を1つや2つ、試したことがあるように思う。もちろん自分の知っていた人の死体は使っていない(少なくともよく知っていた人ではない)し、わずかな時間だけのことだった。私の記憶によればだが。

つまり、いずれにせよ、私が皆にはっきりと言いたいことは、 魔術と死霊術、これはまったく異なるものだということだ。

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