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書籍

バーン・ダルを知る者

アカン著

最初に言っておこう。バーン・ダルとチキンはあまり関係がない。

アカンはなぜあれほど多くの者がチキンについて話すのか分からない。確かに、ウッドエルフはチキンを爆発させるし、そのような愚かな行為を祝祭と呼んでいる。ウッドエルフはリンゴを食べるのが間違っていると言うが、リンゴは美味だろう? ウッドエルフは腐った肉と虫で酒を作る。ウッドエルフの言うことを聞いてはいけない。

よそ者はバーン・ダルが盗賊神であり、千の顔を持つ男であり、放浪者であると言う。彼らはカジートがバーン・ダルを知るようにはバーン・ダルを知らない。ウッドエルフはバーン・ダルの名においてゲームやいたずらを行い、ブレトンは生きている盗賊や伝説について語り、吟遊詩人はバーン・ダルの偉業を現世の盗賊のように歌う。

よそ者にとって、バーン・ダルは伝説であり、物語であり、冗談なのだ。バーン・ダルはそういうものではない。真のカジートにとって、バーン・ダルは我々の生き方である。彼を理解する全てのカジートは、ドーレスの農園で働く鎖でつながれた人々から、血の染みついたシロディールの戦場で金貨のために戦う傭兵まで、どのようにバーン・ダルを称えるかを知っている。

ジャ・カジートが窓の敷居からスイートミートをくすねて飢えた腹を満たす時、ジャ・カジートはバーン・ダルを称える。血で毛がガチガチになった奴隷がその鎖で奴隷商人の喉を掻き切る時、奴隷はバーン・ダルを称える。お前が奴隷にするために仕掛けた罠から遊牧民が足を噛みちぎって逃げる時、遊牧民はバーン・ダルを称える。

誰にでも見える場所に貴重品を置いたなら、バーン・ダルが持って行く。奴隷商人の鎖を他の者がちぎるのを待っていれば、バーン・ダルはお前が暗闇で憐れみの涙を流している間に抜け出す。バーン・ダルはお前を解放することも、慰めることも、助けることもしない。だが彼のために耳を澄ませるならば、バーン・ダルはお前が自らを救えるよう導く。

暖かい砂を越え、暖かい太陽の下、木や石や言葉で甘やかされていないカジートが剣と弓を持って自由にさまよう地で、バーン・ダルは従う者全てにただ3つのことを求める。

お前が持っていたいと願うものを、他人に取らせてはならない。

鎖なく生きたいと願うなら、他人に縛られてはならない。

騙されたくないと願うなら、他人に見くびられてはならない。

バーン・ダルは自分の名を称えよと求めることはない。バーン・ダルは供物を求めない。バーン・ダルはお前が愚かでないことだけを求める。エルスウェアの暖かい砂に、愚かなカジートの居場所はないからだ。

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