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書籍

ナミラの踊り

リーチの儀式の観察
文化書記、ゲンマ・パンフェリウス著

リーチの儀式について直接の目撃報告は少ない。大抵の場合、よそ者がこうした儀式に参加することは激しく忌避され、見学さえ許されない。私がリーチとその鋭く不屈の人々について発見したことがあるとすれば、それは彼らがドルアダッチ山脈の崖や谷間に人知れず咲く野生の花のように、互いに全く異なっているということだ。

多くのリーチのクランはよそ者が自分たちの生活に入り込むことを許さないが、ボールドクロウ・クランは私が学者だと名乗ると丁重にもてなしてくれた。彼らはデイドラ公ナミラを称える儀式に私を参加させてくれた。時として霊魂の女王、あるいはより劇的に死の女神と呼ばれることもあるナミラは、暗闇と終末の霊魂とみなされている(ただしリーチの民は、ナミラを再誕を司る霊魂ともみなしている)。リーチの民はナミラを自然界における強大な力と考えている。彼らのデイドラ崇拝は、例えばタムリエルの他の地域の人々が神々を崇拝するのと意味合いこそ違うが、彼らが霊魂と呼ぶ存在はリーチの民の生活に重要な役割を果たしている。リーチの民はデイドラとの間に持ちつ持たれつの関係を築いており、日々の課題や困難の助けを得るため、合意を形成しているのである。

ボールドクロウはナミラを深く尊敬している。彼らはナミラが死と生の両方に及ぼす作用を、古代の儀式によって称える。この儀式の光景は言葉で描写できるものではないが、私が目撃したものを記述するよう努力してみる。

ナミラの踊りはボールドクロウ・クラン全員の参加を必要とする。最年少の子供から最年長の狩人までの全ての成員が、空き地の中心にある大きな炎の周囲に集まる。多くの者は暗い色の服を身に着け、暗い色の絵具を顔から喉にかけて塗りつける。しかしそれ以外の人々は全裸で現れる。彼らが世界に生まれてきた時の姿を象徴するためである。踊れる者は一斉に踊り、死と生まれ変わりを目まぐるしく表現する。これは恐ろしく、また美しくもある。

この踊りの最中には血が流されるのだが、何が暴力を加えているのかはよく分からなかった。それに「暴力」は言い過ぎかもしれない。炎のきらめきの中に捉えられた血は溶けたルビーのようで、美しいと言ってもいいくらいだった。ある者は血の色を両目の下になすり付け、別の者は土に手形を押しつけた。彼らは血を恐れるだけでなく、血を称えてもいるようだった。おそらくそれがナミラの踊りの核心にあるのだろう。

私自身に関して言えば、デイドラ公についてどちらかというと伝統的な視点を持っていた。特にナミラについてはそうだ。それは恐怖と不快感が混ざった視点であり、リーチの民には無縁な視点のようだ。彼らはナミラを肯定的に捉えており、私が見た儀式は美に満ちていた。リーチの出身でない私たちにとっては奇妙に聞こえるかもしれないが、自分の目で見ればきっと同意してもらえるだろう。この地とその人々に、愛が欠けているわけではないのだ。

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