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書籍

デュフォート家の歴史

公爵家の歴史家兼年代記編者、カエラ・メトリック著

最初は質素だった一族がのし上がり、ブレトンの強大な貴族家になることを可能にするものは何か? この珍しい事例においては、忠誠心と如才なき実践、そして何よりも、忍耐であった。

一族の記録と口承が伝えるところによれば、デュフォート家の歴史は第二紀70年頃のカムローンに始まった。デュフォートは貴族とのつながりを持たぬ小さな家だった。ジャスティン・デュフォートは農民として生まれたが、武術に天性の才能を示す稀有な若者だった。一族は彼を従者として騎士団に預けてもらえるゴールドを何とかかき集めた。ジャスティンは無数の大胆にして勇敢な偉業を成し遂げて実力を証明し、騎士の地位を手にした。そうした偉業の中に、カムローンの公爵の娘を、身代金で儲けようと企んだ野盗から救出したことがある。野盗たちはジャスティンの剣に倒れ、彼に公爵の好意と、愛する娘を救った感謝として小さな財産ほどのゴールドをもたらした。

この時点から、一族の影響力は増大していった。第二紀125年、ジャスティンの孫であるイルボレはシストレス諸島に旅行した。この時、デュフォートは裕福な商家として知られており、その財産を活用するための新たな道を探していた。イルボレの直感はタムリエルとシストレス諸島の間の交易が成長するにつれ成果を生み出した。彼の富は増大し、残りの親類たちに知らせを送れるほどになった。短い間に、デュフォート家は一流の船舶建造者として知られるようになり、全旗艦隊の結成の後に廃用された施設の再利用に着手した。

時は過ぎ、諸島の二大名家であるデュフォートとモーナードは、協力してハイ・アイルを急成長する居留地に作り変えた。デュフォートの船のおかげで、モーナードの交易網は広大な範囲へと拡大し、ノースポイントからファリネスティへ、そしてサマーセットへ至るまですべてのタムリエルの大規模港を含めるようになった。モーナードの影響力が大きくなるにつれ、ハイロックの公権力はシストレスが真に繁栄するために合法的な貴族の所有権が必要だと判断した。モーナード家には公爵位が授けられ、デュフォート家は男爵位を与えられて、モーナード公爵の傘下に入るよう布告が出された。

貴族となったことで、どちらの一族も繁栄した。モーナード家の富はアメノスに新たな鉱山が開かれ、諸島と本土の間の新たな交易路が開発されることで増大した。それに対してデュフォート家は、モーナードが品物を市場から市場へと届けるために必要な高速船を提供し、ハイロックに戦艦を供給する契約さえ確保した。

しかし年月が経つと、事業の関心の一致によって名家のつながりは残ったものの、両家の貴族社会における地位が確立されるにつれて、友好的な提携はライバル関係に発展していった。多くの場合、モーナード家はデュフォート家に対して影響力と支配力を行使し、公爵位を利用して男爵位のデュフォートへ優位に立とうとした。両家の態度におけるこうした変化は、狂気の男爵としても知られるデンシル男爵の行いによるものだと言う者もいるが、この主張を確証する歴史的証拠は存在しない。

もちろん、こうしたことすべてはモーナード家がランセルの戦争と呼ばれることになる事件の際、ランセルを支持した時に変わった。裏切り者ランセルの権力要求を支持したことで、アヴリッペ・モーナード公爵はウェイレストの憎悪を買った。上級王エメリックはモーナードの領地の多くを没収し、シストレス諸島の支配をデュフォート家に移した。彼らの忠誠心と抜け目ない実践により、諸島が滞りなく管理されるものと信頼されたのである。モーナードは伯爵に格下げされ、その活動拠点はハイロックから、ガレンとヴァスティルの街に移された。

こうしてエリア女公爵によって見守られ、シストレス諸島は全旗海軍の頃以来なかったほどの富と安全、繁栄の時代を謳歌している。それはすべてデュフォート家と、女公爵の知恵のおかげである。

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