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書籍

リーチの偉大な霊魂 第2巻

グウィリム大学デイドラ学部長、ヴァシュ・グラモルガ著

リーチの民は大小様々な、数多くの霊魂を崇拝する。実際にはリーチにいるクランの数と同じだけの信仰が存在する。聖なるエルクや山の泉の霊魂を崇拝するクランもいれば、古代の英雄の亡霊のために山羊を生贄に捧げるクランもいる。しかし一部の霊魂は、クランの境界を超越して崇拝されている。それはタムリエルの残りの部分にいる我々が、デイドラ公と呼ぶ霊魂である。

リーチの主神は狩りのデイドラ公ハーシーンである。古きエルクの目、狩りの王、獣の父、皮を作る者、五又槍など、名称はクランごとに様々だ。リーチの神々全てと同様、ハーシーンは冷酷な師とみなされている。実際、リーチの民は自分たちの信仰を「信心」ではなく「教え」と呼んでいる。しかしハーシーンの教えを聞く者は素早く、強く、狡知に長けた者へと育つ。リーチの狩人にとって、こうした信仰の物理的な表明は、神々の聖堂で議論されるような漠然とした倫理的懸念よりも遥かに大事だ。

ハーシーンは凶暴かつ恐るべき「今」の化身である。彼は生がその瞬間に生きられるものであり、全ての生物は捕食者か獲物か、その両方であることを信者に教える。これにより緊張と注意を怠らない感覚が生まれ、それはしばしば争いにつながるが、リーチの民の安全を守ってもいる。ハーシーン崇拝者の心には休息も、休息の予感もない。

外部の者にとって、このような信仰はひどく不快なものに思える。しかしその成果は無視しがたい。リーチの民が維持している集中力と身体能力に並べる種族はほとんどない。狩りの後には短い静寂があるが、視界の端には常に次の狩りが待ち受けている。

リーチの民はまた、ハーシーンに最も忠実に仕える者を守護者や導き手として遇する。もちろん、ウェアウルフのことである。ライカンスロープを祝福とみなすリーチの民は少ないが、彼らは有用な状態としてこれを受け入れている。ウェアウルフは属するクランのために苦しみ、それは敵の苦痛を引き起こす原因となる。

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