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書籍

炎と闇 パート2

炎と闇: 死の同志たち パート2

イニル・ゴーミング著

モラグ・トングの暗殺における専門技術の証拠はほとんど必要ない。彼らは我慢強く有能で、道具の使い方に精通している為、彼らの殺害の企てを逃れた数名の事例は共通して珍しく、注目に値する。有名な鍛冶師の私物の中から発見された手紙の切れ端は、我々の保管室に以前から封印されている。おそらく、団のための武器を注文する際に、一般には知られていないトングの暗殺者によって書かれたものであり、彼らが武器に何を求めていたかを知る手掛かりを提供していると共に、トングが引退した密偵を送っていた、ヴヌーラ島に関しても触れている。

「あなたの短剣の芸術性、バランス、重量に対して賛辞を述べる。ナイフの刃は剃刀のように薄く、上品に鍛造されているが、実用性がない。動脈は切られたときに自己治癒する性質があり、出血を妨げてしまうため、もっと大胆な刃が必要だ。私は新しい道具の検品をしに、2週間後にヴヌーラを発つ。できあがったものがもっと満足のいく品であることを願う」

モラグ・トングは第二紀の早い時期に、静かにタムリエル全土に広がり、これまでにも行なってきたとおり、メファーラとシシスを血で崇めた。

モラグ・トングが皇帝レマンを第一紀2920年に、彼の後継者である最高顧問ヴェルシデュ・シャイエを第二紀324年に暗殺したとき、非常に長い間影の中にいた暗殺者たちは突然光の下へと押し出された。彼らは殺人に文字通り酔いしれ、壁に「モラグ・トング」と最高顧問の血で書き記した。

モラグ・トングは瞬間的に、そして何の異議を唱えるものもなくタムリエルの隅々で禁止された。本国であるモロウウィンドを除いて。モロウウィンドだけは、西の他地方との関係を完全に断ち切ってしまっている議会の承認を受け、活動を続けた。その土地では、うわべだけの合法的な存在を続け、闇の令状を引き受けて、罰せられることなく殺しを続けていた。

大多数の学者は闇の一党、非宗教的で利益のために殺人を犯す暗殺者の一団の誕生は、宗教的な分裂の結果だと信じている。双方の秘密性を考慮すると、本質を推測するのは困難ではあるが、ある種の理論的な仮説は立てられる。

モラグ・トングはその存続の為にモロウウィンドの最高権力に訴えかけたのは間違いなく、それは当時の第二紀、アルマレクシア、ソーサ・シル、ヴィベクから成るトリビュナル以外は考えられない。トングがシシスと共に崇拝したメファーラはヴィベクの守護者であると言われていた。存続を許されるための見返りに、トングがメファーラの崇拝を止め、ヴィベクを崇拝したと推測するのが論理的ではなかろうか。

モラグ・トングは我々の知る通り、シシスの崇拝を続けている。闇の一党はたいていの人々から宗教的な集団とは見なされておらず、非宗教的で金のために殺しを提供する組織と考えられている。しかし、私は令状の中で、闇の一党が他のどんなデイドラよりもシシスを崇めていた証拠を見つけた。

そうなると読者諸君は、ではどこに分裂の原因があるのか、と問うだろう。お互いに極めて近い存在でありながら、どうしてこんな静かな戦いが始まったのか。ともに暗殺者のギルドであり、結果的にはシシスを崇めているではないか。しかし、そこでこの仮説を唱える人々を止めてしまう人物が歴史から浮かび上がる。

夜母。

夜母が誰なのか、どこから来たのか、彼女の機能が何なのかは誰も知らない。概ね良い歴史考証がされたカルロヴァック・タウンウェイの歴史小説「2920: 第一紀の最後の年」の中で、彼は夜母をモラグ・トングの指導者として描くことを試みている。しかし、彼女は歴史的に闇の一党とのみ結び付けられており、トングとは一切関わりがない。

我が愛する友よ。夜母とは、メファーラのことである。トリビュナルの命令によって拘束されない西の闇の一党は、メファーラの崇拝を続けた。彼女を名前では呼ばないかもしれないが、殺人、性行為、秘密のデイドラは彼らの指導者であることに変わりはない。そして今も昔も、彼女をないがしろにした同胞を許してはいない。

第二紀に最期を遂げた靴職人、闇の一党とトングの戦いの終わりが見えないといった彼の感覚は、正しかった。帝国の闇の中で、死の同志たちは戦い続け、おそらく永遠に戦い続けるであろう。

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