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書籍

イーグルシアー・クランでの1年

グウィリム大学、グラブリアン・ツリエル著
(第二紀564年、レオヴィック皇帝統治時代に執筆)

数百年に渡り、リーチとその住民は他の土地の人々にとって謎めいた存在だった。だが、マルカルスにおける帝国総督の任命は、リーチと民に新たな時代を告げている。タムリエルの学者と旅人はついにリーチへ踏み込めるようになり、そしておそらくリーチの民と彼らのやり方について理解してきている。

そのような目的を胸に第二紀560年の春、モリカル皇帝からの紹介状を持って私はマルカルスへ旅立った。カダッチ総督は(懸念を持ちつつも)ガイドの調達に力を貸してくれた。ドゥニアルと言う名で、私を友好的なクランであるイーグルシアーに紹介するためのガイドだ。3日間の旅でイーグルシアーのデュン(要塞化された丘の上の村。内陸地域ではよく見られる)に到着した。ドゥニアルが私の任務を説明すると、ダラー族長と側近の魔女アシュリンは私を受け入れてくれた。当初、ダラーは私の意図に戸惑っている様子で、アシュリンは露骨に私を蔑んでいた。彼らが滞在を許したのは、ダラーがカダッチに小さな貸しを作っておけば使えるかもしれないと考えたからにすぎないと思う。

到着したのは早春で、儀式的な狩りの準備が進行していることに気づいた。どうやらこの季節で初めて行うもののようだ。長く寒い冬の後で、クランの食料の備蓄が尽きかけていたのだが、ついに雪が融けたため、大人数の狩りの一行が出発の準備をしていた。狩人たちが出発する前の晩、クランの者がハーシーンの加護を願う儀式のために集まった。野性的な踊りが追跡と殺戮を表現したが、かなり暴力的な光景で不安を感じた。いかなる理由であれ、デイドラ公に祈願するなど、どう考えても無謀に思えた。アシュリンと魔女たちが全てを取り仕切っていた。儀式が最高潮に達すると、彼女はクランの戦士たちに私を追い払うよう命じた。どうやらこの後に続く秘密の儀式は部外者が見るべきものではないらしい。それ以上のことを学ぶ機会はなかった。

儀式(だか何だか知らないが)では、どうやら狩りがうまく行くというハーシーンの好意的意見が得られたようだった。私は狩人たちが戻ってから2週間ほどイーグルシアーに留まり、彼らのライフスタイルを観察した。彼らは下品で遠慮のない人々で、中にはわざわざ無理をしてまで、私を怖がらせるか驚かせられないかと試みる者もあった。しかし、私がダラー族長の保護下にいるという事実が、最悪の事態から私を守ってくれていたようだった。紙とインクの在庫が尽きかけ、また長居しすぎて嫌われたくないという意識から、持ってきた小物を彼らに贈り、別れを告げた。そしてマルカルスへ引き返した。

夏のさなかにイーグルシアーへ戻ると、クランのデュンが半ば空になっていることに気づいて驚いた。クランは家畜の群れを豊かな牧草地に移動させ、多くが貴重な家畜を見張るために一時的なキャンプを設置しているのだと知った。リーチの民はクラン同士が揉めていない限り他のリーチの民から盗みを働くことはないが、山にはオーガやトロール、危険な野獣が住んでいる。家畜の群れは絶え間なく守らなければならない。他のイーグルシアーの者は近くの川岸に釣り用キャンプを設置するために離れていたか、マルカルスへ取引に行ってしまっていた。前に滞在していた頃よりも、彼らは忙しくしていた。

秋には3回目の訪問をしたが、クランはまた新たな生活の一面を見せてくれた。ほとんどのリーチの民のクランのように、イーグルシアーの者が畑に種を撒くことはなく、秋の収穫を楽しみにすることもない。だが、彼らは野生の根やベリーを集め、来たる冬に向けて準備をする。燻製小屋の中にはたっぷりの肉が保管されていた。1年のこの時期、イーグルシアーの者は家畜の群れから寒い季節を耐え抜くために必要な家畜を選んで殺すのだ。今回、私はマルカルスから役に立つ贈り物を持って来ていた。ナイフや毛布などだ。そして、機会があるたびに努めてクランの仕事に参加していた。イーグルシアーの者たちは徐々に私の存在に慣れてきているようだった。

4ヶ月後、私は真冬に雪の中を困難かつ危険な旅をして戻った。私はイーグルシアーの友人たち――この頃には多少いたので――がどうしているか心配だった。私は、冬が道具や服やおもちゃを作る季節であることを学んでいた。狩人たちは天候と獲物の状況が良さそうなら自らの運を試すが、ほとんどの人は夏と秋に蓄えることができた食料で生き延びている。恐ろしいことに、私はイーグルシアーが嘆き、激怒していることに気づいた。

私が戻る3日前にシックスフォード・クランの戦士たちがイーグルシアーの狩猟団を待ち伏せし、ダラー族長を殺したのだ。どうやらシックスフォードとイーグルシアーは昔の侮辱のことで、長年におよぶ確執があったらしい。2つのクランは突発的に紛争を起こしていたが、冬は抗争と襲撃の季節なのだった。アシュリンは真正面からダラーの死について私のことをとがめた。老族長が軟弱なよそ者を歓迎したことで、リーチの厳格な神々の怒りを買ったのだと。彼らは不信を示し、私は直後に不安を感じて去った。

しかしイーグルシアー・クランに一年滞在して得られたものは大きかった。

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