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書籍

ティボーの石塚とその歴史

サッチのチャロウニウス著

リーパーズ・マーチには長い血塗られた歴史がある。住民たちには、遺体を埋めるための広大な場所が必要だ。最も尊敬され、裕福で、強い者たちは、ティボーの石塚と呼ばれる墓地が最後の休息の地になることが多い。

現在グリーンヒルと呼ばれている村の南西にあり、かつてはコロヴィア人の墓地だった。近くにある村も、かつては同じ名前だった。だが… 話を進めよう。

石塚は、最も有名な「客」にちなんで名づけられた。著名なクヴァッチのティボーだ。ティボーはコロヴィアの将軍だった。数百年前、生前の彼はハストレル歩兵隊の頼みの綱の一つだった。

その勇敢な魂たちは、南の先陣に向かって進み、リンチェルやオンタスの歩兵たちの同僚たちも同行した。移動の目的は不明だが、何年にも渡ってコロヴィアの王国が挑み続けてきたマーチに向けての多くの進撃の一つに過ぎなかった。

ティボーと歩兵隊の特別な関係がなければ、彼らの進撃は時の霧の中で忘れ去られるようなものだった。クヴァッチの王国から南へ向かう彼の横にいたのは、彼の妻テートシアだった。歩兵隊の彼の指揮下には彼の子供たちもいたが、何人いたのかは時代とともに忘れ去られてしまった。歩兵隊の構成員たちは個人的に彼に忠誠を誓っており、その強さは近代のコロヴィアの歩兵隊ではめったに見られないほどだった。ティボーが乗馬すれば、肥料の糞を集める男たちさえついていったと言われている。

ティボーの死の詳細もまた、今では不明で… だが、彼の死が与えた影響の大きさは、今でも北の森のアレンシア南部を旅すれば分かる。リンチェルやオンタスの歩兵隊が北にある故郷まで戻ってきたのに対し、ハストレルの男も女もそこにとどまり、そこで根を生やした。

テートシアがとどまったのは、夫が築いた遺産を観たいからだった。彼女の指揮の物語は、間違いなく多くの他の本でも読むことができる。腕のいい踊りでカジートに対してはウッドエルフ、ウッドエルフに対してはカジートを演じた。そう言うにとどめておこう。結果はというと、墓地と村全体が混ぜ合わさり、かつては単に「ティボーの寝床」と呼ばれていた。

さあ、この小さな街の歴史が興味深いものになっただろう…

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