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書籍

連続した真実 第9巻

「巻かれ続けるメインスプリング」の第四トゥールビヨン、デルドライズ・モーヴァインの説教からの抜粋。

私は言葉で歯車を巻く。

「巻かれ続けるメインスプリング」は何よりも作成を高く評価する。形作り、組み立てる女と、着想し、創造する男。クロックワーク神の真の子供たちだ。

お前の仕事にはソーサ・シルの荘厳なクロックワークのように、唸りや擦過音を必要としない。ブラシ、木工錐、トング、針。それぞれが謎の父を称えるだろう。彼の真実を語る限りずっと。そしてセトの子よ、彼の真実とは何か? 完全なことのみか? そうではない。連なった言葉を聞け! 単純な精度は美徳の影以外の何物でもない。たとえ信仰を持たぬ鍛冶屋でさえ、非常に鋭い刃を持った刀剣を作る。完璧な球体、最も澄んだガラス、完全な角度。全て彼の加護を得るには至らない。最も純粋な不調和と大いなる疑念を通してのみ、祝福を得られる。三重に畳んだ心で考えよ。不連続を見つめよ。

定命の者にはこの不連続を完全に把握できないだろう。我々は一部だけを理解する。境界の真実だけを。ある者にとって、不連続は失望をもたらすものだ。他の者は子供の当惑によって眺める。だが極めて少数の者、名もなき探検家にとって、このかすかな理解の光は無限の曲線の橋、転がる車輪だ。

知るのだ、灰の子よ。恐れを知らぬ精神のみがこの道を歩める。分かっているように、名のない魂はぐるぐると回り続けるだけの、綱渡りの軽業師だ。下にも側にも、シェオゴラスの嘘の開いた口が待っている。前に、上に、最後のタムリエルを待て。アヌヴァナシ。

お前の叫びが聞こえる、セトの子よ! お前は尋ねる。「どのように車輪を転がすのか?」と。ここに名のない真実がある。全てのボルトに合うレンチがないように、全ての魂に適合する歩みはない。彫刻家にとって、それは逆転した角度か、入れ替わった形を意味するかもしれない。名のある類似の放棄と抽象化の容認を。数学者にとって、半ば正気を失ったかのような定理を必要とするものかもしれない。想像上の立方数と関数の空間を。発明家にとって、いかなる使い方も知られていない道具か、または疑問のみを焼き付ける、応答する機械を要求するものかもしれない。

完璧に作り、不明瞭に使え。これが最後のタムリエルへの最も確かな道だ。アヌヴァナシ。

私は言葉で歯車を巻く。

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