書籍

アルゴニアの季節

ジンチェイ・コヌの番人、ジェッカワス・バザルト著

時間は不変である。
変化の意志を駆り立てる原動力であり、不可避にして始原的である。
恒常的な循環の中で動き続ける力。
その変化の進展を印づけることは、サクスリールにとって最も神聖な行為である。

各月は年の循環のある特定の面を印し、それに従って祝われる。
月とそれに対応する意味を以下に示す。

バッカ(太陽)
循環の最初の月であるバッカは、存在の始原的な起源、あるいは起源一般と関係する。
この時期に我々は、部族の長老たちに普段以上の敬意を示すよう求められる。

ジーチ(木の実)
隠匿の時期としても知られるジーチは、種と理想の両方を植える月である。
沼の球根が埋められ、まかれた種が芽を出す。
長老たちはその知識を伝えることで、知を植え付ける。
希望の時期だが、憂鬱の時期でもある。

この月は三つの喪の最初のものである。
何かが植えられると、それは隠れて消えてしまうからだ。
出てくるものは何か新しいものだ。
すなわち、木の実は永遠に失われてしまう。

シセイ(芽)
シセイは新しさ、可能性、若き興奮などを表す。
ヒストはその休眠の生を脱ぎ捨て、真の意味で生きた状態になる。
多くの子供の祭りがこの時期に行われる。
この月はまた「跳躍の季節」としても知られている。
スポーツや競技の盛んな月だからだ。
力やスピード、意志の強さといった徳が尊重され、祝われる。

ヒスト・ディーク(ヒストの樹液)
ヒスト・ディークは良くも悪くも、権威への反抗と個人の主体性の力に捧げられる。
多くの者はこの月を利用して不正を告発し、その結果としてしばしば部族内部の争いが起きる。

言うまでもなく、論争の的になることの多い月である。
多くの者は、この時にヒストといかに離れたかを分析する。
崇拝について反省し、それが絆であって束縛ではないことを理解するためである。

ヒスト・ドゥーカ(成熟したヒスト)
騒がしいヒスト・ディークを相殺する役目を担うヒスト・ドゥーカは、家族、伝統、義務といった観念を中心に置く。
若いサクスリールはより大きな責任を与えられ、多くの若者たちはチュッカセイ。
すなわち成人の試練に挑み、自らが大人と呼ばれるにふさわしいことを証明する。
試練を突破した者は完全な部族の成員となり、この月は通常、大きな祝賀と共に終わりを迎える。

ヒスト・ツォコ(年老いたヒスト)
おそらく一年で最も神聖な月であるヒスト・ツォコ は、知識や賢明さ、可能性の充足といった観念に捧げられている。
この月に行われる集会の大部分は厳粛な行事であり、その中でも最も重要なのが、部族の長老たちがサクスリールの歴史を暗唱する「根の語り」である。
この月はまたヒストが成長を止め、その個々の可能性が使い果たされたという事実から、「第二の喪」をも表している。

スティシル・ガー(卵の籠)
スティシル・ガーは愚行と軽薄の月であり、通常はヒスト・ツォコの重苦しい厳粛さからの喜ばしい小休止である。
子供のような驚きや若々しい歓喜、軽い困惑などが祝いの対象になる。
多くの旅芸人の一座たちは、利益の大半をこの時期に得る。
祭りや宴会はほとんど途切れなく続く。

スティシル(卵)
卵の月は謎や予期、そして(やや奇妙だが)目的にかかわる。
大半の部族にとって、このつながりは文字どおりのものだ。
産卵の多くはこの月に起こる。

ヌシュミーコ(トカゲ)
トカゲは静かで手早い労働の象徴である。
ヌシュミーコは日々の生活において感謝されることのない仕事を祝い、労働はほぼ途切れなく行われる。
掃除、建祭、修復、準備など。
部族の成員は皆、ひたすらに働く。

シャジャ・ヌシュミーコ(半人トカゲ)
この月はヒスト・ディークのように、謎と議論の絶えない月である。
半人トカゲが実際に何を表しているのかについては、かなり大きな論争がある。
卵から出てきた子供のことなのか、それとも我々の文明の起源を表すのか?

変化や生成、移り行く価値といった統合的な概念について想いが馳せられる。
そのため、多くの若者たちの集会がこの時期に開かれ、様々な恋愛がらみの問題が持ち上がる。
若者の不器用さがしばしばこの月と結び付けられる。

サクスリール(アルゴニアン)
サクスリールは我々の文化の真の情熱に関係する月である。
狩りと収穫の季節が過ぎた今、部族の成員たちは陶芸や木工、その他の創造的な活動を自由に追求できる。
物事が終わりを迎えつつあるという感覚が広まる。

多くの部族で、月の終わりには長老たちの大きな集会がある。
この祭典の目的は我々の長老たちと共同体の両方を、迫りつつある死に備えさせることである。
肌の乾いた者には、これを陰惨な伝統と見る向きも多い。

ズロマート(死者)
多くの伝統と同様、ズロマートは明らかに矛盾する発想の月である。
この月は「第三の喪」に結びついており、文字どおり一年の終わりであるため、3つの喪の中で最も強力である。
部族は一年の出来事を振り返り、過ぎ去っていくことを受け入れる。

しかしながら、この月は祝賀と追憶の時期でもある。
古い生を終え、新しい生へと移行した全ての者に敬意を表すため、大規模な祭典が開かれる。
月の大部分はこうした祭典の計画と準備のために費やされる。

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