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書籍

イーモンド王家

エバーモア城のデリック・アンドラス執事長著

王の忠実な執事長として、高貴な血筋について詳しい話を民衆に伝えなければならない。重荷だが名誉と思い、喜んで引き受けよう。

イーモンド王は、オルシニウムの陥落後に港が建設されて以来エバーモアに住まう、貴族グイマルド家の末裔である。エバーモアの子供でも知っているように、我らがすばらしき街は第一紀983年にオークを鎮圧したことでビョルサエ貿易が開始された後、リバーホースブレトンによって建設された。詳細については城の保管庫にあるグイマルド家の文書を見ない限り確認できない(この不安定な時期に、誰が確認できようか?)。しかし、その名は女帝ヘストラが制定した領土法に基づきハイロックがシロディール帝国の傘下に入った後に記されている。第一紀1029年に記されたこの文書には、「リバーバンクのガイ・マルデ男爵」についての引用が含まれている。

以来グイマルド家の英雄たちがエバーモア年代記には繰り返し登場する。第一紀2260年の、全旗海軍の男爵船長オルシエン・グイマルド、第一紀2305年の、アレッシア帝国軍に対抗しバンコライ駐屯地を防衛した女男爵ファリンヌ・グイマルド、第二紀431年の、オルシニウム第二次略奪の際に武勲で公領を改善したフルヴェルト・グイマルド男爵などである。

542年、エバーモアの先の統治者であるモイル家のヘセフ王が後継者を残さぬまま死んだ時、街はブラック・ドレイクのダーコラクの圧政を受けていたが、ブレイズ・グイマルド公爵は聖ペリンの騎士を率いて街を奪還した。ブレイズ公爵はバンコライの貴族によって王位に立てられ、グイマルド家は王族に列することになった。

ブレイズ王はランセルの戦争でエメリックの援護に向かい、見返りとしてエメリックの姪アーツェラを息子のイーモンド王子と結婚させることになった。その後すぐ、568年にブレイズ王は死に、イーモンド王が後を継いだ。アーツェラ女王は2人の健康な子供を王との間に設けた。それがエララ王女とエイドリアン王子である。彼らの統治下で、我が国の平和と繁栄が続きますように!

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