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書籍

象牙の王: 英雄の誕生、1巻

その兵士は息を殺して待ち受けていた。拳が白くなるほど、剣の柄をきつく握りしめている。しんがりに立ち、攻撃の機をうかがっている彼の利き腕は落ち着きなく震えていた。もういつアレッシアの偵察隊が通りかかってもおかしくない。しかし、彼は心のなかでこう問わずにいられなかった。いったい自分は何に首を突っ込んでしまったんだ?

彼は名をエリック・ディレインといった。そして、どこでどう間違ってこんな役回りを演じる羽目になったのか、分かってさえいなかった。エリックは宿屋の息子で、成人したばかり。彼の家系図には馬飼い、農場の働き手、そして彼の父親のような料理人といった人々が文字通り鈴なりになっていた。彼の体内を流れる戦士の血の量は、彼の両腕と背中の筋肉の量と同じだった。つまり、ほとんど無いに等しい。にもかかわらず、彼は貧弱な体にぶかぶかの防具を身に着け、使いかたさえろくに知らない剣を握り、こうしてここに立っているのだった。

エリックは、できることならこう言いたかった。復讐を果たすため、または名誉を手に入れるために民兵に加わったのだと。アレッシアの襲撃で両親を亡くしたとか、生涯の恋人を連れ去られ、邪悪なアレッシアの強制労働収容所に送られたとか、その手の動機が欲しかった。八大神にかけて、とにかく身内がアレッシアに危害を加えられたという内容であれば、なんでもよかった。

しかし、エリックの家族は息災だ。福々しく太った両親はハイロックに点在する小さな街の1つで宿屋を営み、満ち足りた暮らしを送っている。では「生涯の恋人」は? そんなものいやしない。エリックは乙女の抱擁を受けたこともなければ、メイドのキスを味わったこともなかった。それなら、なぜアレッシアと戦いたいと思ったのか。たしかに、アレッシアの狼藉ぶりは耳にしていた。しかし、エリックにとって、それは噂とほのめかしの域を出なかった。彼は安全な場所で安穏と暮らしてきたのだ。

いや、エリックが勇猛なカジートの乙女キシュナやハンサムなアイレイドの騎士カリンデンと並んで立っている理由は、さほど高尚なものではなかった。彼を今この場所に導いたのは、単なるはずみと偶然だったのだ。エリックは以前から夜な夜な森にこっそり出かけては、武術の練習に励んでいた。といっても、街の衛兵隊の訓練を、見よう見まねで再現しているだけだが。戦いかたを見につけたいとは思ったものの、練習しているところを人に見られたくなかったからだ。彼は所詮料理人の息子に過ぎない。武術の練習なんぞに励んでいるところを誰かに見られたら、からかわれるのが落ちだ。それで、エリックは夜な夜な錆びの浮いた剣とサイズの合わない防具をひっつかんでは、練習のために森に入っていったのだった。

だが、今夜は違う。もう練習はない。

いつものように、よく知っている壁の穴を目指して裏通りを走っていたエリックは、角を曲がったところで、彼らに出くわしたのだ。エリックは息を飲んだ。さまざまな文化圏の男女から成る一団が、ひとかたまりになって、ひそひそと囁きを交わしている。彼らはおそろいの立派な装束に身を包み、それらに輪をかけて立派な武器を携えていた。

エリックは用心深く彼らに近づいていった。しかし、忍び足の技能も優美な身のこなしもろくすっぽ持ち合わせていない彼のことだ。足がもつれてバランスを崩し、バシャッという派手な音を立てて水たまりに突っ伏してしまった。戦士の一団はいっせいに振り返り、険しい目をして武器の鞘を払った。ところが、エリックのいでたちと武器を見て、有志と勘違いしてくれた。怖くて否定することもできず、エリックは彼らの仲間として迎え入れられたのだった。

要するに、単なる誤解だった。後のエリックなら、それを運命と呼んだかもしれない。

しかし、今夜は? 今夜はエリック・ディレインが死すべき夜だった。そしてそのことによって、彼を取り巻く世界は永遠に変わってしまうのである。

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