グウィリム大学歴史学者、ヴァレンカ・アルヴィーナ著
サルデカスの指揮戦術は一つの原則に基づいていた。
それは真の敵が沼であり、アルゴニアンではないというものだった。
第一次戦役における死者の約半数は疫病が原因であり、ほぼ同数が謎の失踪によるものであった。
彼の算定で、アルゴニアンの襲撃はそれらより遥かに低い第三の要因だった。
この事実を考慮して、サルデカスは新たな戦いの心得を作り、士官全員に普及させた。
この戦術の要点は単純だった。
すなわち、ブラック・マーシュを征服する唯一の方法は、それを破壊することであるというものだ。
サルデカスは技術者と工兵で構成された大隊を全て前線に展開した。
帝国軍兵士が国境付近の村に激しい襲撃を行っている間、支援兵が沼を干上がらせ、水田に塩をまき、数百の木を切り倒した。
戦役のこの時点において最もよく知られている出来事は、第一紀2828年の「大炎上」である。
記録が示すところによれば第一紀2828年恵雨の月上旬、エリシア・マリシウス(サルデカスが信を置いていた軍団長の1人)が工兵部隊に命じて、ストームホールド外にある泥炭の沼地に火を放たせた。
工兵たちは命じられたとおり行動したが、沼地が地下に広がる巨大な網構造の一部であることは知らなかった。
数ヶ月経って、帝国軍兵士たちはソウルレストやギデオンなどの遠隔地で突然の出火を報告するようになった。
この地域全体が炎に包まれていることに帝国軍が気づくまでには、さらに数ヶ月を要した。
泥炭や廃棄物が燃えて発生した炎は、3年以上もの間足元で荒れ狂った。
ただでさえ危険なマーシュがさらに凶悪になり、帝国軍はこの10年近くの期間で初めて後退を余儀なくされた。
窒息する煙と燃える沼から噴出するガスにより、この地帯はアルゴニアンにとってさえほとんど居住不可能になった。
この地帯に固有の数百種もの動植物が絶滅させられ、アルゴニアンの中には部族ごと消滅したものもあった。
帝国軍でさえ、多大な犠牲者を出した。
数百の兵士が「沼肺」やガス爆発のために命を落とし、あるいは炎の猛烈な熱さのために逃げ出した。
帝国軍とアルゴニアンのどちらにとっても壊滅的な打撃だった。
この出来事が第二次戦役と、サルデカスの任期を終焉させた。
帝国軍が退却したすぐ後、サルデカスは病に倒れ、帝都に帰りつく前にエセリウスへ旅立った。
公式の診断では、マーシュから脱出する際に受けた傷による急性の感染症ということになっているが、帝国軍の兵士たちは納得しなかった。
サルデカスの死に本当はどのような事情があったのかについては、いまだに歴史学上の論争となっている。
シャドウスケールの関与の可能性は排除できない。
彼らの組織や方法について我々はほとんど何も知らないが、この紛争において何らかの役割を果たしていたと考えて間違いはないだろう。
大炎上のような惨事のすぐ後に高位の将軍が謎の死を遂げたということは…私が歴史の研究で学んだことがあるとすれば、偶然などというものが存在しないということだ。
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