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書籍

巨人: 講話

知りたがりのコード著

スカイリム! それは天地創造以来、興味をかき立ててきた。そしてスカイリムには常に巨人がいる。それは真実だ。私はこれらの重々しそうに歩く生物を研究し、彼らがマンモスの世話をするのを見てきた。彼らは穏やかで、単純な存在だ。すべてが、戦闘の欲に屈するわけではない。すべてが、私の知っているノルドを全て追い立てているような、探求の必要に屈するわけではない。

ただし、共通の祖先を持つが故に、私達はこの巨人達とつながっている。アトモーラ人は巨大で賢かった。この祖先に由来するノルドは(比較して言えば)小さく、知性が高い現在の姿になった。一方で、巨人は巨大で馬鹿な、私達が遠くから観察する生物になった。かつて私達はこの親戚に牛の捧げ物を授けていたが、この慣習は支持を失った。おそらくそれは、ノルドのあらゆる村を犠牲にするだろう。

現在、ほとんどのノルドは私達と巨人の間にある明らかなつながりを認めることを拒む。私達は巨人を厄介者として扱い、彼らの牧草地を盗み、そして戯れに彼らのマンモスを狩りさえする。これは私達の破滅の原因になるだろう。巨人に失礼な態度をとることは、私達自身に失礼な態度をとるのと同じである。もしも私達が巨大な親戚と共に生きることを学べないのであれば、衝突は全面戦争に成り得るだろうと危惧する。そしてそれは恥となるだろう。

巨人についてさらに話させてほしい。概して、彼らは孤独を好みがちな生物だ。巨人は定期的に儀式場へ集まる。そこに集まって彼らは商売し、結婚し、そして彼らの開発した単純な方法で交流する。

彼らはマンモスと興味深い関係を持っている。彼らはこの生物を追い立てはしないが、意思を伝えることができるようである。それらを守り、そのお返しにミルク、チーズ、そして親交を得る。時々、巨人がマンモスを食べるのを見たことがある。その食事は、もしそのような概念が単純な巨人に当てはまればであるが、敬意を持って執り行われていた。

巨人はまた、死に対して複雑な信念を明らかに示す。彼らは神聖な墓地としての場所を用意している。巨人が病気になったり死にかけたりすると、死ぬためにこうした場所の一つへ行く。もし巨人が他の場所で死ぬと、他の巨人が絶対にその亡骸を墓地へ持っていく。彼らはこれらの神聖な場所の近くには住まず、見張りはしない。ただ単に使うだけだ。

巨人とノルドは、同一の領土を争い続けるだろう。平和的な解決を探し出す手段を講じない限り、将来の衝突は回避不可能である。巨人が倒れ、ノルドが死ぬ。だが巨人がノルドを食べる姿を、私は一度も見たことがない。

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