私はバンコライのナジル・イタフ・サハーンの息子、サイ・サハーン。この記録に私の言葉も加えるよう頼まれた。私は書記ではないが、全力を尽くそう。 ディヴァド、アバ、カラム、サタメの教えは我々に教えてくれた。戦士は己の技能を完ぺきなまでに磨き、剣を石や鋼を空気のように切り裂けるところまで研ぎ澄ます一方で、剣士の真の価値は彼がどんな敵を引き寄せるかで決められるのだと。私は偉大なるフォアベアーが今の我々を見て、敵であるモラグ・バルというデイドラ公を目の当たりにしたら、この哲学を考え直すだろうかとぼんやり考える。 当初、我が訓練はこの事態に備えられなかったと書くつもりだった。だが数時間の瞑想とかつての皇帝の助言で、私とカスラが長年訓練し学んできたのはこのためなのだと悟った。古きヨクダのソードシンガーたちは定命の者以上の存在だと言われていた。彼らは人が何度も人生を重ねて辿り着くであろう域をはるかに超えた集中力と技能を持っていた。私は自分がそんな偉大さに至ったとは言えない。おそらく私の最後の試練は皇帝たちと共に戦争を行うことではなく、生きとし生けるものの敵に対して正義の剣を振るうことだったのだろう。 来たる闘争への準備が自分にできているかどうかは疑わしい。私は裏切り者の拷問に屈することはなかった。だが拷問の館から無傷で出られたわけではない。裂けた肉は我が主の治癒の魔法で治った。真夜中に野蛮な夢で飛び起きれば、雪のリリーの温かな声が耳元で癒してくれる。だが私はまだ完全な状態ではない。 回復を待つ間、サルンと技能と戦略の方針について長々と話している。私は率直に自分の不安を語った。私の認めた弱さへの彼の軽蔑は雪のリリーの優しい言葉とは対照的で、私が求めていたものだった。私はそれに耐え、受け入れた。謙虚さのない戦士は堅く打ち過ぎた剣のように欠陥品なのだ。彼の言葉は私の決意を固め、私の機知を研ぎ澄ましてくれる。 刀剣の大修道院での多くの死について放置するのは難しい。攻撃の勃発時に我々はできる限りのことをしたが、カスラが刀剣の技と心を多くの生徒に教えられるようになるには何年もかかるだろう。これがすべて終わる時、もちろん我々は生き延びているはずだ。私はあそこに戻り、再建を手伝いたいと思う。 きっと私は、雪のリリーへ共に来てくれと頼むだろう。
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