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書籍

トパル軍団兵士官学校

勤勉なるザーギット著

この者はトパル軍団兵士官学校で何度か研究をしていた。(生前の)内部の者に、この場所の歴史について聞いたこともある。士官学校の現状を見ると、ザーギットは行く気になれない。いつか行こう。だが今は、士官学校について知っていることを書いておく。

元々は単なる帝国のベースキャンプで、その時の状況にぴったりの場所だった。帝国はここで皇帝のため、何年もかけて地形を研究した。どの皇帝だったかは記憶にない。士官学校の本のどこかに書いてあったはずだ。この件に関するこの者のメモは混乱している。研究の目的は教えてくれなかったが、おそらくカジートの地を奪い取るための研究だったはずだ。帝国は、いつの時代も帝国だ。

やがて帝国は、ザーギットに教えられない理由で、ここに要塞の建設を開始した。数世代の間、ここはこの区域で活動する帝国軍の単なる避難所になっていた。だがある指導者が、可能性を秘めたインペリアルを訓練するための場所に変えるべきだと決意した。こうしてトパル軍団兵士官学校が誕生した。

それから数世代の間、トパル軍団兵士官学校は帝国軍人の間で名誉ある地位を獲得した。運営資金は幾つかの家が提供していた。初期はこの区域に派遣されたインペリアルの兵舎としても機能を続けていたが、資金が提供され精鋭を訓練する必要性が高まったことから、兵士の移動のために使われた場所は、完全な学校に変わった。

卓越した訓練の伝統は、ナハテン風邪によって中断された。士官学校の命運は、疫病との戦いで尽きてしまった。なお、この学校はスラシアの疫病を生き延びていた。指揮官の話によれば中に自ら閉じ込もって、感染せずに生き残れたという。残念ながら今回は決断も虚しく、ナハテン風邪が広く蔓延し、士官学校も終焉を迎えた。

現在、この地のカジートはこの場所がナハテン風邪の犠牲者の霊魂に呪われていると言う。だが、魔法の使い手たちはこの場所が「アルケインか呪い」によってこの地を悩ませているという。彼らは近づいてそれが何なのかを判別することはない。「どうして放棄された要塞なんて呼ばれる場所に行くんだ?」と言っている。

こうした警告は受けているが、この者はあの豪華な蔵書庫に入って、さらに研究を進めるため書を何冊か持ち出したい。だが、誰もこの者に同行しようとはしない。ザーギットは、もっときちんとメモを取っておくべきだった。できれば、この過ちを正したい。きっといつの日か。

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