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実績

死を越えた生の書

下記の3ヶ所の洞窟に置かれている書物を全て調べると、実績「死を越えた生の書」を達成して、スキルスタイル:乱雑(バイオレットパープル)を獲得できます。

  • 亡命者の墓地(バンコライ)
  • ティボーの石塚(リーパーズ・マーチ)
  • 隠匿の炉床墓地(リフト)

亡命者の墓地(バンコライ)

ティボーの石塚(リーパーズ・マーチ)

隠匿の炉床墓地(リフト)

書籍

不死の誤謬

イダロン・ジェメイン著

生死を操る力を求める者は、どちらも手に入れることなく、双方の奴隷と化すことになるだろう。

この真実を学んだ時には手遅れで、グレイホストのよろめく獣は苦しんで泣き叫ぶ。吸血鬼として、永遠に徘徊し無限に飢える意味とは何か? 食べ物や飲み物による救済を感じられるほど生きてもおらず、真の休息を知るほど死ぬわけでもない。呪われた存在。古びた墓からはい出なかったほうがいい存在だ。

ゾンビはまだ少しましだが、自身の状態を幸いにも把握していないらしいのが問題ではある。それでもその厄介な死体は、歩き回る先で伝染病を広げる。死はさらなる死を生むだけだ。

それに、そうした死霊術的な試みには何の意味があるのだろうか? 永遠に生きるため? 定命では得がたい何らかの知識や力を手に入れるためか? 死霊術を行う者には死の謎が通じない。吸血鬼はそのニルンに縛られた殻が血の飢えと権力欲に突き動かされるだけで、魂のエセリウスへの旅を決して理解できはしない。

終わりのない命は命がないのと同じである。死がなければ命に意味はない。亡命者の墓地がそれをよく証明している。あそこに住む獣が生き生きしているとはほど遠い。確かに死んではいないが、存在することを楽しめるほど生きてはいない。自身の罪深い変身ではなく他者を蘇らせることで死を操るとする死霊術師でさえ、命の複製しか作れない。ゾンビやスケルトンの召使はかつてのように生きない。自身の死を恐れることはなくても、死霊術師の操り人形になることは本当の意味で生きていると言えないだろう。

死、または不死への執着は、与えられた尊い命を死霊術師から奪う。最期を恐れ、それをいかなる代償を払ってでも防ごうとすることは、持っていた力を失うことだ。そうしてグレイホストの誤謬に惑い、不死という詐欺にかかりやすくなるのである。
ティボーの石塚の時空の書

イダロン・ジェメイン著

私は死霊術の魅力に共感する。勇ましく、新しく、未踏の領域に見えるものだ。行動力のある魔術師が何か偉大なことを達成し、世界に永続的な強い影響を残せるような魔法の分野だ。死霊術は魔法の指導の世界であまりよく記録されていないかもしれない。しかし、そのようなものは存在しないと見なすのは愚かである。魔術師を目指す者は歴史も学ぶべきだと、私は常に考えている。

しかし私が読むかぎり、死霊術はもともと残虐な行為を引き起こすものである。死霊術のために英雄的または犠牲を払う行為がされたのであれば、歴史的研究によって認められたのと同じように扱われて当然だ。証拠の不足は不利である。注目すべきものは何もない。それを否定する少数の報告は、逸話的なものか、歴史の中で忘れられてしまった。

例えば、ティボーの石塚で死者が蘇らせられたのは、近くのグリーンヒルの町を侵略勢力から守るためだったとする。その死者の骨は生ける者を助けるという新たな目的を見つけたと。なかなかいい空想だが、それは事実ではないし、決してそうなることもない。死霊術師は自分の目的しか考えず、その目的とは他者を支配することだからだ。

ティボーの石塚について言えば、あのような落ち着かずによろよろと歩くアンデッドを率いることは不可能だ。間違いなく苦しい姿で、主人を持たないままでいる。休むことを許されず、永遠に不在の主人に仕えることを余儀なくされるのだ。

もしかしたら何か不注意な事故により、今は彼らに混ざっているのかもしれない。ともかく、かつて立派であったティボーの石塚で起きているように、アンデッドが自分たちの不幸を共有する仲間を見つけるため、その数を増やす以上のことを目指していると仮定する納得のいく主張は見つけられない。

次元融合によってシロディールに急速に押し寄せている不死の波は、私たちが許すかぎり広がる。私は魔術師たちに請いたい。今ここで止めようではないか、と。
隠匿の炉床墓地の時空の書

イダロン・ジェメイン著

死霊術はノルドの文化の一部だ。それは議論の余地がない。しかし、だからといって北部の死霊術を綿密な調査の対象から外すべきではない。それは大間違いだ。古代竜教団の痛ましい慣例は、まだ完全に終わっていない過去を反映するものである。ドラウグルは長年が経過した今でも墓の中で動いているのだ。

私はノルドを攻撃するつもりはない。過去を振り返り、この先、過去と同じ過ちを犯さないようにしたいだけだ。

ドラウグルだらけの隠匿の炉床墓地を例に取ってみよう。リフトのアスペンの木から腐った果実をもぎ取るだけでいい。過去を無視してはならず、呪われた慣例を廃止すべきであることを示すいい例だ。

私は隠匿の炉床墓地にまだいるドラウグルを研究したウィンターホールド大学のターリア・バンティエンから、じっくりと話を聞いた。その研究は多大な個人的リスクを伴い、彼女は何ヶ月も絶え間なく攻撃されたと報告している。火の魔術を使えなければ、両手斧で首を落とされていただろう。

そんな執念深いドラウグルが、何らかの理由でイヴァルステッドの小村のすぐそばにあるあの墓地から解き放たれたらどうなるか想像してほしい。イヴァルステッドは墓場と化してしまう可能性がある。現代の死霊術師によるさらなる略奪の玩具。終わらない死のサイクルだ。

こうした倒錯した慣例を早めに終わらせることは、私たちの責任だ。恐ろしい木にこれ以上実がなってしまう前に。

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