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書籍

その笛と、自分の特有の才能を見出したのは13歳の夏だった。
それよりずっと前から自分には何か未発見の潜在能力があり、その能力で仲間たちと一線を画すことができるという気がしていた。

子供の頃は人との交流が苦手だった。
そのため自分より大きく強い子供たちの間で、いたずらやからかいの対象になっていた。
その頃には彼らはすでに戦士や木こりといった力強い職業を自負していて、ほっそりとしていた私は大きく後れを取っていた。
だが動物たちの中には良き友をたくさん見つけ、どんなに孤独な時も一人ではなかった。

ある時、自分たちの力を誇示したがる年上の残酷な子供たちが、私にとあるいたずらをしようと思いついた。
そのいたずらで使われたのは彼らが見つけた笛で、多くの生き物を荒れさせる音を発するものだった。
故郷に生息していたヅラゾグは特にこの音に影響を受けやすかった。
当時ヅラゾグがねぐらとしていた洞窟へ連れていかれ、殴られたくなければ笛を吹けと命令された。
前述したように、この子供たちは私よりはるかに強く残酷だった。
彼らに暴行を受けて片足を引きずって帰ったことも多かった。

だが今思えば、暴行の脅迫だけでは笛を吹くことはしなかっただろう。
私の度胸に対する侮辱や嘲笑の言葉が、笛を吹かせた。
物理的な力で負けていたのは明らかだったが、勇気と精神力では絶対に負けないと思っていたから。

臆病者と謗られるよりはましだと思い、私は危険が大きい方の選択をして、笛を手に取り大きくはっきりとした音を吹いた。
自分の勇敢さを示すため、必要以上に長くその音を出し続けた。
その音を聞いたいじめっ子たちは本性を現し、吹くのをやめるよう懇願し始めた。
頭がおかしいのか、死にたいのかなどと言われた。

私は笛を吹くのをやめず、歯をむき出しにして口をゆがめたヅラゾグがねぐらから出てくるまで音を出し続けた。
私が止まると、彼らも止まった。
一瞬、お互いを見つめ合った。
わずか数歩先で、まるで合図を待つかのように止まっていた。
私は再び笛を口につけ音を出した。
すると彼らも再び近寄り始めたが、私に殺意が向けられているようには感じられなかった。
むしろ指示を欲しがっているようだった。
この仮説を試すべく、私は家で飼っている犬でやるのと同じように、手を上に向けて合図した。
すると犬と同じように、ヅラゾグたちは一斉に後ろ脚で立った。
続けて「お座り」や「ねんね」といった合図を笛の音と共に出してみると、ヅラゾグたちは何度もそれに応えた。

これを見たいじめっ子たちからは恐怖が拭われ、今度は自分たちに笛を使わせるよう懇願していた。
ヅラゾグに命令してみたかったのだろう。
それを拒否するのは、正直に言うと気持ちよかった。
とうとう奴らは私に嫉妬していて、敬意を勝ち取ったのだと実感したからだ。

だが奴らの中で最も体の大きかったレジッドというバカが、私の頭を殴り笛を奪った。
ようやく意識がはっきりしてくると(それだけの力で殴られたのだ)、奴が笛を吹く音とヅラゾグのうなる声が聞こえてきた。
徐々に回復する視界の中で、怒りと殺気に満ちたヅラゾグたちがレジッドの方へと走っていくのが見えた。
レジッドに飛びかかり、肉を噛みちぎっていた。
奴は泣き叫び、笛を使ってヅラゾグたちを追い払うよう懇願したが、私は何もしなかった。

他の者たちは喰われるレジッドを恐怖に満ちた表情で見ていたが、私がそのとき感じていたのは誇りだけだ。
私たちよりも動物のほうが勝者と敗者を見分ける感覚を持っていると、ずっと信じてきた私の考えが立証された気がしたのだ。

食事の終わった獣たちはねぐらへと戻っていった。
他に笛を欲しがる者はおらず、その時からずっと私が持っている。
タムリエル各地でヅラゾグをしつけ、訓練するために使っている。
反抗されたことは一度もない。たった一度もだ。

はたして魔法なのか?
この笛に魔法があるとすれば、私の注ぎ込む勇気と技術だけだろう。

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