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書籍

クロックワークの未知の潜在能力

ソーサ・シルの使徒、読師サエローン・テナー著

人間でもエルフでも、ドングリを見ればそれが何なのかは分かる。単純にその形、大きさ、色を見分けられる。謙虚に、葉と土の中に投げ捨てられている。どんな子供でも、そのことを知っている。確かに、単純な知識があれば、子供はドングリがいずれ何になるかを簡単に想像できる。その可能性も知っている。ドングリはいずれ木になる。それを知らない者などいるだろうか?

しかし、想像してほしい。もし一度も木を見たことがなかったら。描写を聞いたことも、絵を見たこともなく、木について聞いたことがなく、普通のドングリを見たとしよう。目立たず、小さく、そもそも使い道がない。できる限りの観察をした結果、目の前に出されたドングリと巨大な樫の姿は繋がらない。

ドングリと同じように、クロックワーク・シティの大きな可能性は、呼応しない意識に分からない。上のニルンには建物と道がただ縮められ、小さな空間に詰められた小さな世界に見える。最も忠実な信者たちと危険な実験を含んだ、神の玩具かもしれない。だが、こう考える者の視界は、単に可能性を知らないだけだ。

クロックワーク・シティは後のニルンの車軸であり、世界を形作るあまねく車軸だ。とても美しく、壮大な恐怖で輝いている。聖典にはそう記されている。ニルンの現実と一致するかもしれないが、「ロルカーンの大いなる嘘」から生まれた不完全さはさておき、実際の現実とは違う。

聖なるメトロノームの元で働く我々の手は油で汚れ、我々の心は献身的だ。我々は溶接工で、隠された知識を追い求める。聖なるピストンの道を歩き、我々の魂は清潔で、油に濡れている。我々のクロックワーク・シティの真実は、最後のタムリエルのチクタクという音が聞こえる、永遠の車輪だ。

ドングリの先を見よう。未来の姿、強大な樫の樹を見よう。

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