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書籍

破壊の要綱

炎の暴君に仕える者にとっての破壊の意味に関する考察、クイストン・メリアン著

破壊。かつて存在していたものを完全に抹消すること。破壊は畏怖の念を抱かせる。徹底的で包括的なものだ。

破壊された家は、住人の望む通りに再建される。彼らの必要性と欲求がその建物の形を決める。家は店、聖堂、さらには公園となることもありえる。そういった場合、当初の破壊を受けた者たちに、圧倒的な幸せと利益をもたらしたことになる。これは、破壊が進歩や改善の力であることを示す。

クーデターが王や議会を転覆し、人々も、そして自身も仕えるべき根本的な法の支配に従わない政体が崩壊したところで、合理的な人間は否定すまい。政治的動乱は、奉仕すべき統治者が押し付けた悪を正すために存在する。このような状況では、裏切り者と愚かしい忠臣のみがかつての首魁をあおぎ、かつてあったものを立て直そうとする。そもそも不健全な政体だったのだ。全市民に対して効率的かつ公平に機能していたのなら、クーデターなど起こらなかったはずだ。

破壊がこうしたこと全てであり、それ以上でもあるのなら、なぜこれほど否定的な響きがあるのか? 答えは簡単だ。真の破壊によってのみ可能な絶滅を目撃する幸運に見舞われた定命の者は、事件の凄惨な性質にのみとらわれているからだ。彼らにはそういった素晴らしき破壊がもたらす可能性を見る客観性も知識も欠けている。頼りにしてきた家、政体、街、人物の絶滅を知覚した時、その先の未来が可能だとは思えないのだ。だが可能だ。虐殺自体を目的とした虐殺は破壊ではない。それはただの蛮行だ。

破壊を恐れるな。それは望ましい変化の力だ。そこにある治癒の力は過ちではなく、我々全てが従う基礎的な英知なのだ。

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