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書籍

大司教: 栄光へ

グウィリム大学歴史学者、ミダラ・サルヴィティカス著

大司教アルトリウスが長年にわたり説明してきたように、アカトシュが「暗がりにいた彼を呼び出した」後、この青年は神々に仕える司祭となった。彼はその後も聖堂に仕え続け、その聖地を作り上げている八大神の祠で時間を過ごしながら、さらに多くのことを学んでいった。その慈善が次第に人々へと知られるようになっていたこともあり、その行いと献身により、彼は再びクヴァッチの大司教ジョナスの目に止まる。

アルトリウスはクヴァッチのアカトシュ大聖堂に配属されることを切望していた。彼は「竜神の大宮殿」の物語を知っており、そこ以上にアカトシュに仕えるのに相応しい場所はタムリエルには存在しないと信じていた。彼はその役目を任されたいがために、大聖堂の大司祭と大司教の目に止まるようにあらゆる手段を講じた。最終的には「最初の祠の奇跡」と呼ばれる出来事が起こり、その目的は達成された。

その出来事とは次のようなものであった。狩人のカシラスが、胸から矢柄が突き出た若い息子を聖堂に連れてきたため、司祭のアルトリウスは助けるためにすぐに駆けつけた。子供がその酷い傷により死ぬのはもはや明らかだったが、アルトリウスは悲しむ父親をアカトシュの祠に連れていき、祈りを捧げ始めた。アルトリウスは飲食や睡眠などを一度もとらず、三日三晩、祈り続けたと言われている。そして3日目が終わりを迎えたとき、この司祭は誰も聞き取れないような早さで話し始めた。そしてそのとき、言い伝えによれば、祠からまばゆい光が発せられた。その光はアルトリウスを直撃すると体の中を流れ、腕から手のひらへと伝わり、死んだ少年の体に流れ込んだ。その光が消えると、矢は消えていて、傷が治り、子供は目を覚した。アルトリウスの祈りにアカトシュが応えたのだと誰もが口を揃えて言った。

この奇跡の評判は帝国中に野火のように広がっていき、すぐに大司教ジョナスの耳にも入ることになった。そして彼は、アカトシュが司祭を通して奇跡を起こしたのであれば、その司祭はクヴァッチの大聖堂に必要な人物であると結論づけた。その直後にアルトリウスは、ノルドがハチミツ酒を飲むがごとくその言葉を受け入れ、常に大司教の側にいられる大聖堂へとその身を移した。そしてアルトリウスは大聖堂で昇進していき、ついにクヴァッチ大司教に次ぐ役職、アカトシュの大説教師となった。

この時期から次第に大司教と大説教師との関係は緊張したものになっていた。アルトリウスは、高まり続けているナハテン風邪の脅威だけでなく、帝国全土に広がる政治不安にも聖職者がもっと関わるべきだと考えていた。その一方でジョナスは、これからも非宗教的なことに大聖堂は関わるべきではないと考えていた。両者はこの件に関して絶えず議論をし続け、最終的には大説教師を遠方に送ることを計画するなど、大司教があらゆる手段を用いてこの論争を終わらせようとするまでになった。

しかし大司教はその考えを実行する前に、不審な状況の中で急逝してしまう。クヴァッチのいたるところで大司教は殺されたのだという噂が囁かれた。闇の一党やその手の組織のアサシンが関わっていると考える者もいた。だが大司教はデイドラ崇拝やそれに準じる組織について説教を行ってきており、特に闇の一党についてはゴールドコーストの癌と呼んでいた。真実がどうであれジョナスの死は、より高みに登るための機会をアルトリウスに与えることになった。

そしてアルトリウス・アンクラスはクヴァッチ大司教に選ばれた。彼は名前をアルトリウス・ポンティカスに変え、この10年の大半、教会の中で確固たる権力を手に入れている。

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