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書籍

フレイディスの王冠

神話の作り手タレオン著

我らが敬愛するマブジャールン女王が戴くフレイディスの王冠には、長い歴史がある。名高いその美しさについて知る者は多いが、この王冠の本当の使い道や、この王冠が作られた経緯を知る者は少ない。そして、フレイディス女王以前の君主たちもこの王冠を被っていたという事実も、ほとんど知られていない。

フレイディスの王冠は、実を言うとスカイリムでは2つめの王冠である。最初の王冠の栄誉は、「尖った王冠」に属する。これはノルドの初代王ハラルドがドラゴンの骨から作った王冠で、伝説によればハラルド王の血を引く最後の王ボルガスが、第一紀369年のワイルドハントで落命した際に行方知れずになったという。イスグラモルの系譜に連なる最後の1人であったボルガスには子がなく、彼の死は「継承戦争」と呼ばれる血で血を洗う内紛の引き金を引いた。

継承戦争は隻眼のオラフが新しいスカイリムの上級王になるまで、5年余り続いた。オラフが王に選ばれた主たる理由は、ヌーミネックスというドラゴンを退治したことで得た名声であり、仁徳や政治的手腕を見込まれてのことではまったくなかった。隻眼のオラフによる治世は、ノルドの間で大きな争いと分断が起きたことによって特徴づけられる。オラフがボルガス同様に明確な世継ぎを残さずに死んだとき、上級王を選出するための新たな手続きを導入することが決まった。

かくして、スカイリムの各要塞から1人ずつ選出された魔術師たちが一堂に会する。目的は、上級王の有力候補の適格性をテストする魔法のアーティファクトを作製することだった。この時彼らが創り出したのが「認証の王冠」である。王冠の形をしたアーティファクトの作成は革新的なアイデアだった。というのも、「尖った王冠」が失われてから、オラフは一目でそれとわかる王権の象徴を身に着けなかったからだ。この新しい王冠が、比較的不安定だったオラフの治世後、新王の元で国がまとまる助けになるだろう。そう魔術師たちは感じた。この王冠が作製されたタイミングは、吉兆だったと言える。

さて、ムートは氷砕きのアサーンという族長を次期スカイリム上級王に選出する。アサーンはドラゴンを倒したことこそなかったものの、隻眼のオラフ同様、武勇無双の戦士だった。しかし、即位する前に、アサーンは完成間もない「認証の王冠」を被る必要があった。このアーティファクトが持つ、本当の力が明らかになったのはその時である。

王冠はアサーンを拒絶した。文字通り、彼の頭に載せられることを拒んだのである。激怒したアサーンは忠実な支持者たちを呼び集めて周りを固め、もし自分を正統な王として認めなければ皆殺しにしてやるとムートに迫った。アサーンとしては、王冠ごときに否定される気は毛頭なかったのである。すると、ムートのメンバーに名を連ねる語り口の穏やかな男が椅子から立ちあがった。彼は法に則り、アサーンに戦いを挑む。勝負は短時間で決着がついた。アサーンは打ち倒された。語り口の穏やかなその男が王冠を手に取り、難なく自分の頭の上に載せた瞬間、スカイリムの新しい上級王が誕生した。これが、「白のジョリック」が王位に登ったいきさつである。

以来今日まで、フレイディスの王冠は上級王から上級王へと受け継がれてきている。この王冠は上級王の候補について、それが誰であるかにかかわらず、ムートが適格性を確かめるために使われている。アサーンが倒されてからというもの、王冠の正当性やその力に疑義を唱える者は誰もいなかった。第二期の431年、レマン帝国が四分五裂し、ログロルフ王が暗殺されるまでは。

ログロルフの娘フレイディスは庶子であり、したがって王位継承者はムートによって選ばれなければならない。ソリチュードのスヴァートル首長がそう主張したのである。「認証の王冠」を被ったフレイディスがウィンドヘルムで上級女王に指名されていたにもかかわらず、ソリチュードで開かれた不公正なムートはスヴァートルを上級王に選出する。それ以後、西王国はスヴァートルとその後継者たちによって統べられ、東王国は「認証の王冠」という呼称を自らの名を冠したものに改めた、フレイディスの跡継ぎたちによって治められた。

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