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書籍

シストレスの歴史 第5巻

グウィリム大学エルセリック史学部長補佐、トリラム・ヘラドレン著

グイマルド家はシストレス諸島を150年の間統治した後、求婚を拒絶したため冷遇された。その後、野心的なマンテル家が諸島の所有権を獲得したが、短命に終わった。第一紀2484年、長い間休眠状態だったファイアソング山が、記録されている歴史上2回目の噴火を起こした。この破滅的な爆発はハイ・アイルの古代の造船所を粉砕し、アメノスで拡大していた居留地を完全に破壊し、全旗の記念碑を損傷させ、諸島の住民のほぼ3分の1の命を奪った。目撃者の報告では、噴火に続く数ヶ月間、リランドリルほどの離れた地からも煙が見え、硫黄の匂いが漂ってきたという。またどうやら震動により、ヘガテの鈴が揺らされたようである。

生存者たちの大半は漁師や捕鯨家などの海産業者であり、彼らは本土に支援を求めたが、物質的な援助はほとんど受けられなかった。シストレス貴族はほぼ全員、山の怒りによって死亡し、諸島の人々とハイロックの支配階級との実用的な連結がすべて絶たれてしまったのである。その後の数年間で、ブレトン封建政治の不平等がまざまざと明らかになり、大飢饉と水を原因とする病気で、ハイ・アイルのブレトンはさらに数千人死亡した。ドルイドたちの介入により、シストレス社会の全面的崩壊はかろうじて防がれた。

ストーンロア・サークルの者たちは島についての知識を活用して栄養のある根菜やキノコ、治療効果のある軟膏、そして真水を窮乏する生存者たちに提供した。これによって短くも重大な、「緑の時代」として知られるドルイド信仰の再興が起こった。ドルイドたちは島に対する権力の完全な復活は実現させなかったが、彼らは敬意を獲得し、大幅に地位を向上させた。今日諸島で用いられるドルイド用語の多くは、この再生と支援の時代に生まれたものである。

この後数百年にわたってブレトンたちが得たものは質素ながら、大きな歓喜に満ちていた。もはや貴族階級に邪魔されることがなくなったシストレスの民とドルイドの同胞たちは、船乗りや農民、羊飼いによる牧畜共同体を形成した。巨大な木材搬出キャンプと大規模農業は小さな自給自足の農地や牧歌的な草原、そして拡大するドルイド集落にとって代わった。壊れた記念碑や粉砕された村は破壊されたまま残り、ツタや苔、キノコが、ほとんどのシストレス住民が記憶に留めていないほどの歴史を通じて成長し続けた。

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