ESO > 書籍 > シストレスの書物と巻物
グウィリム大学エルセリック史学部長補佐、トリラム・ヘラドレン著
シストレス諸島の島々には、少なくとも第一紀にまで遡る、長く動乱に満ちた歴史がある。
島についての最初の記述は、ドルイドの文書に由来する。ドルイドとは、第一紀330年頃に敵意を増したディレニの支配から逃れるためハイロックに逃亡した、イフレを崇拝するブレトンたちである。この時代はハイロック史の動乱期であり、ディレニのエルフと、厳格さを増すアレッシア帝国との間で権力闘争が起きていた。アレッシア教団は正教からの逸脱を許さなかったため、ドルイドたちの一部を人間に与する異教徒として粛清した可能性が高い。同様に、勢力を増していたディレニ王朝は彼らをハイロックにおけるエルフの利益に対する潜在的な脅威とみなした。ドルイドたちはこの地域のドルイドによる統治を公に要求したことで、タムリエル北西のほぼ全陣営から標的となった。
ディレニ家によって追放されたにせよ、自らの意思で去ったにせよ、伝説によるとドルイドたちはシストレス諸島への危険な旅を、ドルイドの長老が風の中に聞いたという謎の「歌」に従うことで成し遂げた。彼らは星霜の書を携えており、その導きに従って新たな居住地イフェロンの海辺にたどり着いたとする伝説もある。
我々は諸島の初期の時代についてほとんど知らない。大部分の記録は第一紀660年、左利きの侵略の最中に焼けてしまったからである。しかしドルイド正教に従うなら、最初のドラオイフェがアースボーンズの力を伝えて傷ついた者を変身させ、火山島を緑の楽園に変えたという。大半の学者はこの記述を正式に認めていないが、私はドルイドたちの到着のすぐ後に、豊穣の時代が訪れたという証拠を見つけた。
この黄金時代はドルイドたちが諸島を越え、その先へと拡大するのを早めた。司祭の航海士たちは付呪をかけた船を出航させ、不毛な岩場や色褪せたサンゴ礁を見つけるたびに、命の火を灯していった。この時代には争いも起きた。この「三朝の航海」の時に、ドルイドの「サークル」が生まれた――互いに区別される3つの文化的派閥である。オソ・カラトリウスやリランドリルのティルネンダリオンのような宗教学者の考えでは、荒波でそれぞれの司祭が得た経験と、おそらくは彼らが交流した種族たちのおかげで、新たな信念が生まれた。この新たな理論上の対立はストーンロア、エルダータイド、そしてファイアソング・サークルを分離させ、危うく表立った紛争に激化するところだった。しかし幸運にも、彼らの海の外側からの脅威が、シストレスにおけるドルイドの優位を終結させた。
コメント