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書籍

スカルド王ジョルン

ESO書籍伝記集

ウィンドヘルムの吟遊詩人、リュート・ボイスのヘルグレイル著

第二紀546年に炎の髪のマブジャールン女王のもとに生まれたジョルン王子は、姉のナルンヒルデが即位する宿命にあるということを理解し育った。人間の声が持つ力をあがめる文化において稀に見る歌の才能を見せたジョルンは、リフテン外部に位置するゴールド島にある、スカルドの静養所で学んだ。彼はそこで、東王国で最も名高い吟遊詩人らから学べるかぎりのすべてのことを教わった。ジョルンは、スカイリムの「スカルド王子」と呼ばれていた。

ジョルンはほとんどの青年時代を芸術や哲学的探究に費やし、東スカイリム全域と、それを越える地域から実に様々な芸術家、職人、演者を育てた。モーンホールド、ストームホールド、サッチ、エリンヒルで過ごした彼だが、西スカイリムの首都であるソリチュードを変装して訪れたという噂まである。また、政治や統治に興味はないと主張していたが、生まれ持った指導力のおかげで、どんな独創的な分野に身を置いてもリーダー的存在となっていた。戦闘と武力行使の策謀に関して受けた正規の教育はほんのわずかだった(といっても、ノルドの王子が何とか習得できるほどのわずかさだが)一方で 、タムリエル全土を旅するのはいつでも危険な行為であった。旅をすることで、彼は問題への対処法を正統ではない方法で学んだのである。

第二紀572年にアカヴィリのディル・カマルがスカイリムの北東海岸を襲撃した時、ジョルンはリフテンにいた。ジョルンと彼の親しい仲間による「吟遊詩人団」は戦いながら海岸を進み、ウィンドヘルムへ到着したのは、アカヴィリによってその門が破られるまさにその時であった。ジョルンは戦いに身を投じ、それなりに慣れていた市街戦に加わったが、街の陥落も、戦いに向かったマブジャールンと「短命の女王」となってしまったナルンヒルデの殺害も防げなかった。

負傷し、精神的にもひどく落ち込んだジョルンは、ウィンドヘルムの略奪をどうにか無事に逃がれた。王家生まれの責任を初めて感じた彼は、グレイビアードに援助を訴える決心をして、隠れながらも大急ぎでハイ・フロスガーへと向かった。その理由は明らかになっていないが、グレイビアードはスカルド王子に、ソブンガルデから英雄を召喚し、召喚者の言葉のために戦うスームを教えた。しかしジョルンの声では、スームは王家の勇気の呼び声となってしまい、召喚される英雄は灰の王、ウルフハース以外にいなかった。

今やスカルドの王の称号を共に得たウルフハースとジョルンは東スカイリムのノルドを再結集し、リフトと、イーストマーチの外側領域から兵力を集め、その後リフテンを要塞化した。ウィンドヘルムから南に移動したディル・カマルが目にしたものは、ウルフハースの存在に触発されて怒ったノルドがリフテンを守り、しきりに戦いたがっている姿であった。それを見たディル・カマルは、レッドマウンテンの戦い以来、初めてリフテンを迂回してモーンホールドへ前進を続けた。アカヴィリの指揮者が立ち去るのを見て喜ぶだろうと考えたからだ。

その選択は致命的な誤りだった。ジョルンとウルフハースは兵を率いてアカヴィリ部隊を追跡し、ノルド軍はレッドマウンテンの戦い以来、初めてモロウウィンドに入った。アカヴィリ軍はストンフォールで、ノルドとアルマレクシア率いるダンマーの軍団の間で捕まった。大規模な戦いの行く末がどちらに転ぶかは不明であったが、爬虫類の魔闘士3人が率いる、アルゴニアン・シェルバックの部隊が予期せぬ介入を行ったことによって決着した。アカヴィリの戦線は突破され、海へと追いやられた彼らは、数千人単位で溺れ死んだ。

目的を果たした灰の王はソブンガルデへと帰っていった。3週間後のウィンドヘルムでは、ジョルンが王の宮殿の王座の間にて、上級王に即位した。

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