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タネスのレディ・シンナバー著
ヨクダの歴史に詳しければ、ラ・ガーダが行った最初の植民地化に続く時期において、フバラジャード王子がどんな役割を果たしたか、あるいは果たさなかったかをご存知だろう。
私たちは「ヒュー王子」を滑稽な人物とみなしている。
不可能な問題に対する彼の頑固な取り組み方を伝え、派手な贅沢を笑いの種にしている。
神が不満を示すため、ゼェトの祠が洪水を起こす?
より巨大な祠をさらに下流に作れば良い!
タネスでは、「フバラジャードのコインで基礎を築く」が無駄遣いを表わす言葉としてよく使われる。
だが、この不運な王子について、本当のことは知られているだろうか?
資料として使えるものは、最上のものでも伝聞でしかない。
多くの真偽が疑われる物語は問題を混乱させる。
私たちを実際の姿から遠くへ引き離すのだ。
故に、自身で結論を引き出すためには、ヒューズベインそのものに頼らざるを得ない。
ほんの少しの間で良いので、彼の多くの失敗として一般的に受け入れられているものが何か、詳細に検討してみよう。
フバラジャードが相当数の兵や職人と、当時「ケフレムのブーツ」と呼ばれた不毛の地に到着したことは分かっている。
現地に採石場が無く、信頼できる北からの陸路もなかったため、彼らは大量の切り出した石材を海から運び込む必要があった。
のちにアバーズ・ランディングとなる、自然の要害となる港が間違いなく彼らの最初の滞在地だ。
荷を積んだ船の定期的な往来は海賊を引き付けるため、フバラジャードは最初にアビシアン海を見下ろす堂々とした要塞、ノー・シラを建設しなければならなかった。
ノー・シラがすぐに洪水の季節によって損なわれたのは事実だ。
だが、対策として、フバラジャードは祠を作ってゼェトに懇願した。
続く洪水が最初の祠を押し流したとき、彼は次の建設を命じた。
さらに入念な祠を。だが石材を調べたところ、新しいものは前の祠よりも上流に建てられたようだった。
この点から考えると、「ヒュー王子の頑固」は、一貫した決意を示している。
ヨクダの農耕の神に懇願することは、傲慢で無謀な男の行動ではない。
その間に、アバーズ・ランディングは兵の野営地と掘っ建て小屋から広大な都市へと成長した。
この辺境の地での暮らしにおける数多くの困難にもかかわらず、フバラジャードは立派な宮殿を建てた。
この土地が彼の家であり、地元民も同じように栄えるよう力を注いだ象徴だ。
石材はアバーズ・ランディングの大きな壁となり、その中身がヨクダの船と同様、保護に値することを示していた。
数多くの墓、ラ・ガーダの領域へ続く北の道を開いた素晴らしい王子の門、フバラジャード自身の美化された姿だと多くの人が誤って信じている、アバーズ・ランディング港のすぐ南にあるヨクダ像については、今しばらく脇に置こう。
彼は同時期に、要塞と壁に囲まれた街を同時に建設している。
これには兵站に対する鋭い頭脳が要求されるだろう。
もしフバラジャード本人でないとしても、それができる人物を周りに置くべきことを分かっていたのだ。
これは知性に欠ける間抜けのやることではない。
筆者はフバラジャードに失敗があったとしても、終わりなき愚行の物語が語られるようなものではないと考える。
彼が荒涼した地に資源を注ぎ込んだことを非難した、嫉妬に駆られたライバルによる中傷だろうか?
親の腹違いの兄弟が死霊術師であったため、評判に汚点が残ったのだろうか?
ヨクダの神の憤怒を呼び起こした?それともデイドラ公の?
私たちが真相を知ることはないだろうが、フバラジャードについて心に留めておくべきことが1つある。
彼が到着する前、人もエルフもこの地に足跡を残していない。
現在、2000年存続している唯一の建造物は、「ヒュー王子」によって建てられたものだ。
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