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書籍

ネレイドの贈り物

幼い時、私は両親に連れられ、司祭たちがネレイドを崇める洞窟を訪ねた。両親は我が子もいつか司祭になれるかもしれないと、私をその聖堂に捧げたのだった。

その聖堂には、私の他に3人しか子供がいなかった。10歳になるまで、私はその3人にからかわれ続けたが、それは私の片脚がもう一方より短く、短いほうの脚を引きずって歩いていたからだ。

ある日、私たち4人は洞窟の中を走り回っていた(こうした行為は禁じられていたが、司祭たちは子供が子供らしく振る舞うのにいちいち目くじらを立てず、見て見ぬふりをしてくれることが少なくなかった)。そのとき、私は何かに蹴つまずき、顔から池に落ちてしまった。私は頭を打ち、気を失った。他の子供たちは私よりもずっと先を走っていたので、この異変に気づかなかった。

後で司祭たちに聞いたところでは、ネレイドの1人が覚える私を助けてくれたらしい。その時私は何も憶えていないと言ったが、時間が経つにつれ、水中を浮上する感覚と、そのとき覚えた一種の戦慄に似た感覚を思い出した。それは、見てはいけない何かを見てしまった時、定命の存在が目にするには美しすぎる何かを見てしまったときに覚える感覚だった。

司祭たちは私たちにネレイドとの関わりかたを教えてくれた。私たちは「ネレイドの贈り物」という次のような文句をそらんじ、毎日繰り返し暗唱することを求められた。

ネレイドの贈り物は次の3つから成る:
姿の美しさ、
歌声の甘美さ
そして、その庇護である。

年長の子供らには、儀式を執り行う司祭たちを補佐する役目が与えられた。中央の祭壇にはネレイドに捧げる肉が運ばれる。そして年に1度、司祭の1人が洞窟の奥深くに入り、ネレイドの歌声に包まれて瞑想する。瞑想を終えて戻ってきた司祭は、預言を皆に伝えるのが常だった。

子供らは一定の年齢に達すると、聖堂に残って司祭になるか、それとも追放されるかを選ばなければならない。幼いころからずっと洞窟の中で過ごしてきた私には、他の生き方など想像することもできなかった。だから、司祭になる道を選んだ。そんな私でも、ときどき陽の光が恋しくなることがある。そしてそういう時には、もし追放を選んでいたら、自分が今頃どこにいてどんな光景を目にしていたかと、想像を巡らせずにはいられないのだ。

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