スポンサーリンク
書籍

城と貴品箱 第3巻:ヘル・ラ要塞

帝国の歴史家たち、特にコロヴィア台地のデュービシャスは、ヘル・ラ要塞が築かれたのは、ヨクダの第二次「戦士の波」の間のどこか、西タムリエルのアリクル砂漠に雪崩込んで来た時だと推測している。
その名前から分かるように、隣接したヨクダの街を守る目的で建てられたと一般的に考えられている。
街の名前は砂と時間と時間の中で失われてしまった。
しかしヨクダ人が要塞に名前を付けたのではない。
現代のタムリエルが付けたのだ。
その建造物は、自らが守っている街が存在する前からあったかも知れない。
第二次の戦士の波、もしくは第一次も合わせた侵略の足掛かりだったのかも知れない。
今は失われてしまった多くの砦の1つ、ひいては要塞化された訓練地だった可能性もある。
神話によると、「剣魔法」を維持するための剣聖の訓練は大変厳しいことで知られている。
侵略部隊の間にあっても、そのスペースは必要としただろう。
要塞が現在建っている場所には、元々ネードの要塞があったと主張する人もいる。
ヨクダ人がそこを占領し、その上に新たに要塞を建てたのだと。

帝国によると、ヨクダ人の撤退以来その要塞が封鎖されていることは確かに知られた事実だそうだ。
中に足を踏み入れた人は誰もいない。
主張や話はいろいろとあるが、当然すべてが間違いだ。
帝国の記録によると、帝国は中へ入ることに失敗している。
またレッドガードの探検でも、要塞の正面入口を迂回できなかった。
魔法なのか、建物の仕掛けなのか、とにかく軍隊も攻城兵器もその壁を突破できていない。
どんな宝が、どんな古代の秘密が内部で待っているのだろうか?
要塞の門は開くことがあるのだろうか?

帝国執政官アルバスは、こう言った:

決してない、と

コメント

スポンサーリンク